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韓国語の守護神として一生を送った李熙昇先生

韓国語の守護神として一生を送った李熙昇先生 - 東亜日報
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007031402688

日韓併合で国を失った少年が見聞きした出来事や、当時は耳慣れない分野だった言語学を勉強する決心で家出したこと、漢城(ハンソン)外国語学校を皮切りに、さまざまな学校を経て、中央(チュンアン)学校を20歳になってようやく卒業したこと、3・1運動(日本植民地支配からの独立運動)の時、太極旗(テグクキ=韓国の国旗)を描いて配りながら万歳を叫び、同志たちと共にガリ版で闇新聞を作って配ったこと…。このようなエピソードが立志伝的な記録として繰り広げられている。

浪人までして朝鮮語文学科のある京城(キョンソン)帝国大学予科に、30歳という晩学学生として入学し、やがて言語学の勉強という夢を成し遂げ、大学でのロマンを楽しみつつ、友人たちと交流したことは、李氏の人生に潤いを与えた下地となっただろう。梨花(イファ)女子専門学校の教授として女性文人たちを養成したこと、朝鮮語学会に参加して綴字法の統一案や標準語査定、外来語表記法の統一案を制定するのに中心的な役割を果たしたことは、今日、私たちが享受している国語生活を考えると、末永く称えられるべきことだ。

しかし、朝鮮語学会事件による3年間の受刑期間中、ひどい拷問を受けており、飢餓や病気に勝てず、同志たちが次々と死んでいったことは個人の苦難であり、韓国文化にとっての試練だった。刑務所から出るや、日本帝国の国語抹殺政策によって瀕死の状態にあった国語を蘇らせるために駆けずり回り、京城大学の建て直しのための仕事を請け負って教授となったことは、韓国文化の再建のためには幸いであったといえよう。


別に功をなしえた人を貶める気はないけどさ。
日本帝国の国語抹殺政策とか朝鮮語学会事件を調べると面白いよね( ´ー`)y-~~
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テーマ:中朝韓ニュース - ジャンル:ニュース

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